読売ジャイアンツ史に輝く名投手(星飛雄馬と番場蛮)

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どちらが本物の“巨人の星”だったか?番場蛮と星飛雄馬

WBCが始まり、野球がいつに無く盛り上がっているようですね。
幼い時分は私も野球を良く見ていました。もちろん巨人ファンだったのですが・・・。

画像私が野球に興味を持った時はすでに長嶋さんは引退されて90番を背負って監督をされていました。
故に私にとっての憧れはやはりなんと言ってもBig One こと王さんだったのです。

もし、彼らが今現役だったとしたら間違いなく全日本の3番、4番を打っていたでしょうね。

ではピッチャーは?というと・・・私が野球を興味を持ち始めた頃は既に堀内投手は全盛期を過ぎつつあり、新浦壽夫小林繁といったあたりの投手が一線を活躍していました。
巨人と言えばV9という9年連続して日本一になるという今なおもって破られない記録があります。
そのV9時代の立役者がONであったことは間違いないのですがONが叩き出した得点をきっちり守った大投手がこの時代には存在していました。

~巨人の星、星飛雄馬入団!~

やはりこの歌なくしては語れないでしょう!

BGM:~ゆけゆけ飛雄馬~

画像常勝を背負わされた巨人軍にとって金田正一の獲得は大きいものがあったが、既に全盛期を過ぎ、1966年(昭和41年)にデビューし“悪太郎”と言われた堀内恒夫、そしてガラスのエースとも言われた高橋一三もまだ、真のエースには成長しきれていなかった。
金田の後継者を常日頃求めていた当時の川上監督は1967年(昭和42年)夏の甲子園大会にて1年生ながら初出場の東京代表青雲高校を準優勝にまで導いた星飛雄馬に注目をしていた。
マスコミには同大会の注目であった優勝校紅洋高校の4番花形満、そして川上の再来と呼ばれた熊本農林高校の左門豊作の獲得を公言していたが、ONが全盛更にはスモールベースボールを目指してた巨人は大型打者よりも投手獲得が急務であり、星の獲得をめざすべく臨時の入団テストを行い、星と共にバッテリーを組んでいた伴宙太という逸材も獲得、V9への道を加速することとなった。

画像1968年(昭和43年)には球界の話題を一気にさらうこととなる大リーグボール1号を開発。10勝2敗の成績を残した。
更にこの年の日本シリーズでも3勝3敗の五分で迎えた大一番で登板し日本一(V4)に貢献した。

翌1969年(昭和44年)には実の父、星一徹が中日ドラゴンズに入団。
メジャーリーグ、セントルイス・カージナルス所属のアームストロング・オズマを獲得し打倒巨人に乗り出し、見事星投手の大リーグボール1号を打ち込む。(BGM:燃えよドラゴンズ

その後「消える魔球」こと大リーグボール2号を開発した星はリーグ終盤に8連勝し、巨人V5に貢献する。

なお、この年400投手金田正一は引退し、絶対的左腕のエースを星に託すこととなる。
リーグ終盤で大リーグボール2号を登場させた星は日本シリーズでは研究する間がなかった阪急打線をには通用したが、同時にシーズンオフに徹底研究をされてしまう致命的な失敗を犯すこととなった。

明けて1970年(昭和45年)、前年4位と低迷した中日はオズマを放出し、怪童中西太の再来と後に評価された伴宙太を獲得する。
常勝巨人の前に2位に甘んじていた阪神タイガースは村山投手が監督を兼任。球界のプリンス、花形満を筆頭に「黄金のバッテリー」江夏豊田淵幸一といったスター選手を擁し、打倒巨人に挑み見事大リーグボール2号を破りペナントレースでも優位に立った。強力打線を誇った大洋ホエールズ現横浜ベイスターズ)も左門豊作を中心に首位を狙っていた。

画像ショックのあまり戦線を勝手に離れてしまった星投手だったが、その年のオールスター戦にはファン投票投手部門3位で出場する。
野村克也(当時南海)、ジョージ・アルトマン(ロッテ)・張本勲(当時東映)という当時のパ・リーグ屈指の好打者相手に大リーグボール3号を実験投球、三社連続三振に討ち取り復活する。

その後昭和45年度ペナントレース終盤のMVP的活躍を果たした星投手だったが、10月25日の対中日最終戦にて完全試合を達成するものの、左腕を故障し現役を引退することとなった。
なお、この年阪神花形、中日伴、星コーチ全員野球界から身を引くこととなる。

~サムライジャイアンツ、番場蛮入団!~

V6を達成した巨人軍は、ガラスのエースではあったものの信頼できる左腕、星を失い再びV7に黄色信号が点った。
そこで川上監督は、当時高校球界ではまったく無名であった土佐嵐高校の番場蛮をドラフト1位氏名する。

そしてBGMはこちらへ!:侍ジャイアンツ

(*侍ジャイアンツはアニメとコミックとでストーリー、時代設定がやや異なりますのでコミックの時代編成をベースに一部アニメ部分を脚色して記させていただきます)

画像番場が巨人に入団したこの年、球団名をサンケイアトムズからヤクルトアトムズへ変えたものの歴史的最下位を喫したヤクルトは高知龍王学園の主将で2年連続甲子園に導いた眉月光を獲得し、翌年には若松勉を獲得し後の黄金時代の礎を気づき始めた。

一方、花形を失った阪神はオークランド・アスレチックスからウルフ・チーフを招聘し、万年2位の汚名を返上すべく巨人に立ち向かった。
番場はこの年17歳にしてノーヒットノーランまであと一人という偉業も成し遂げている。
番場のこの年の成績は6勝1敗。しかし巨人が小さくまとまってしまいつつあった野球から再び活気を取り戻さすことに大きく寄与し、巨人はV7を達成した。

明けて1972年(昭和47年)、中日は水原茂に代わり、ウォーリー与那嶺が監督就任。飛騨の怪童 大砲万作 を獲得した。
この年番場はハイジャンプ魔球を開発!高位置から高角度で投げられる速球に球界は騒然とした。

この年番場は10勝2敗という好成績を挙げ見事V8胴上げ投手となったものの、
ハイジャンプ魔球は眉月に初ヒットを許すこととなった・・・。

BGM:王者・侍ジャイアンツ

画像ハイジャンプ魔球は後にエビ投げ投法を開発するがウルフチーフに破られることとなる。
この頃から巨人が優勝するのが非常に困難に成り始めてきており、番場も絶対的な決め球を持たねばならないと痛感し、シーズンオフに大回転魔球を開発する。
そしてV9のかかった1973年(昭和48年)のペナントレースが開幕する・・・。

番場は文字通り台風の目となり、大回転魔球でセ・リーグに大旋風を吹き起こす。
しかし飛騨の怪童 大砲万作に大回転打法によりついに大回転魔球は敗れる。そして眉月にも大回転魔球の威力を吸収させるために金具のないスパイクを履き、バント体制からホームランを打たれてしまう。
番場は偶然とも言えるハラキリシュートをオールスターで披露!これが巨人V9の大きな原動力となり阪神とのペナントレース接戦を制する要因ともなった。

画像1974年(昭和49年)苦しいペナントレースにも関わらず番場は力投を続けた。
オールスターでの江夏に迫る8者連続三振をはじめ大活躍であった。
そして体力の消耗が激しい分身魔球を開発し巨人V10に導こうとするが対中日戦3連戦3連投3連勝という大偉業を達成直後、心臓マヒにより帰らぬ人となってしまう。

エースを失った巨人はゲーム差なしの2位に終わりここにV10の夢が潰えた・・・。
「蛮ちゃん」と番場を可愛がっていた長嶋茂雄も責任を感じてか現役を引退、そして監督となってV奪回の誓いを立てた。

~星飛雄馬復活!『新巨人の星』~

BGM:よみがえれ飛雄馬(*Amazonのサイトにて試聴できます)

星、番場というエースを失った巨人は投手が崩壊、また打者も長嶋監督自身の穴を埋めることができず、巨人軍は球団史上初の最下位になってしまう。
この年、広島東洋カープが初優勝を遂げ「赤ヘル旋風」と呼ばれた。(BGM:それいけカープ

画像涙ながらにこの巨人の惨状を見ていた星は代打での巨人復帰を目指す。
そして親友伴宙太の紹介によりビッグビルサンダーのコーチを受けるが、その間生来右利きであったことが発覚。
右投手としての復帰を本格決意しテスト生として巨人軍のキャンプに参加し見事復帰する。

1976年(昭和51年)〔私が本格的に野球に興味を持ち始めた年〕、日本ハムから張本勲、太平洋クラブライオンズから加藤初を、そして星を獲得した巨人は長嶋V1を達成する。
この年星は代打・代走でまず復帰し「スクリュースピン・スライディング」で一躍球界の話題をさらい、この年オールスターにも出場した。
右投手としても復活、この年3勝を挙げた。

画像1977年(昭和52年)、V2を目指す巨人に対し、田淵・掛布と主軸が成長した阪神は日系三世のロメオ南条を獲得。
後の掛布・バース・岡田を予感させる強力打線を完成させる。(BGM:六甲おろし
そして、15年連続負け越しという不名誉な記録を更新していたヤクルトへ花形満が復帰するというニュースが舞い込みペナントレースは幕を開けた。

コントロール調整に成功した星は開幕から4連勝と好調だったがベテランの域に入った左門にフォームを読まれ打ち込まれ一時二軍落ちする。

この年の星は好不調の波が大きく、ロメオ南条との暴行事件で自身初の退場処分も受ける。
王選手の世界記録756号ホームランを達成し、長嶋巨人もV2を達成するものの、日本シリーズでは再び阪急に敗れる。
絶対的エースの不在、そしてV9戦士が衰えていることを痛感した星は再び大リーグボールの開発に着手することを決意する。

画像1978年(昭和53年)、宮崎キャンプで事件が起きる。星の大リーグボール右1号、通称「蜃気楼の魔球」が完成したのだ。
この魔球にセ・リーグ各球団は戦々恐々となり序盤は巨人が有利にペナントレースを進めた。

しかし、ヤクルトの花形が蜃気楼の魔球を攻略し、勝率争いで有利に立った。左門も蜃気楼を強打しここに蜃気楼の魔球は文字通り幻となった。
巨人はV3を達成できず、花形の活躍もあり、ヤクルトは球団史上初優勝を遂げる。(BGM:東京音頭

~そして時代が移り行く~

画像1979年(昭和54年)、『空白の1日』と呼ばれた騒動を経て江川卓が巨人へ入団する
事件後、2ヶ月間の試合出場を自粛し多摩川グラウンドで練習する江川の玉を突如乱入した男が打ち返した。
その男の名は水木炎。その言動はかつての番場蛮を彷彿させる粗暴さの中にサムライ魂を感じさせるものだった。

その可能性に注目した長嶋監督はおなじく水木の素質を評価していた星に全権委任し、巨人への入団テストをさせる。
星は自身の投手としての限界を感じていたため現役引退を視野に入れていた。長嶋監督も左右両投げという稀有な経験を持つ星にピッチングコーチとしての慰留を希望。星は水木が巨人に入団できた条件つきで2軍ピッチングコーチの希望を伝える。

水木の登場は正に自分の後継者を見付けたことに他ならず、かつて星自身が長嶋監督、川上監督にしごかれて入団した経緯とおなじように厳しい入団テストを水木に課したが、水木は見事に合格。
星からあの、大リーグボール養成ギプスを手渡され、ここにある一つの時代の終焉が告げられ、新たな時代が始まった・・・・。


10年以上昔に読んだ『水原勇気0勝3敗11S』という本に強くインスパイアされてこの記事を記してみました。
こんな風に漫画をちょっと現実にあった世界のように空想してみるのも面白くありませんか??

注:新巨人の星の続編とも言える巨人のサムライ炎は現在復刻版が出版されていますが、全三巻中第二巻まで出版されていますが、第三巻が何年も出版されておらず、全巻揃っておりません。


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巨人(ジャイアンツ)のサムライ炎 (第1巻) (Kaiensha classic comics)
海苑社
梶原 一騎

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この記事へのコメント

2009年03月14日 23:42
昔王さんの756号ホームラン王記念バスタオル
持ってました。
ダイエーかユニーで買って来たらしい・・・
巨人の星も侍ジャイアンツもよく見ました。
エビ投げハイジャンプやってみたかったです(笑)
GOTEAUXSSON
2009年03月15日 00:26
なんとまぁ、よく書けていますね!ただただ脱帽!でス(スだけカタカナ「サザエさん」風)。『巨人の星』は文字通りREALTIME。熱中しまくりました。中学軟式テニス部に席をおいていた私はラケットのリムでボールを強打、変形するボールを相手のコートにシュルシュルシュル・・・と打ち込む技を磨いていました・・・でも、みんなこれやってたんだ。当時は。しかし考え方とか『巨人の星』の影響は強く、「たとえドブの中でも前のめりになって死にたい」とか、座右の銘になってましたね・・・。いやはや南友。
2009年03月15日 06:53
ケン坊さん
そうそう、当時756号グッズやら背番号1番グッズがやたら出回りましたよね。私も持っていた記憶があります。
侍ジャイアンツって今見ると結構笑えますよ。
2009年03月15日 09:08
GOTEAUXSSONさん
我ながら、こういうパワーもっと実生活に生かせないかとか思っちゃいます。
私は公式テニス部でしたが、わざと体の近くにショットするボディショットで相手がラケットで身を防ぐ様を見て大リーグボール打ちとか言ってましたね。
今でもパロディがおおいですよね~。
Mの妻Mの夫
2009年03月16日 20:11
私も水原勇気0勝3敗11Sには強烈にはまりましたよ~。次回(いつ?)は『明日のジョー編』期待しちゃいます。私の中ではカルロスです。あああの稲妻のようなジャブがこんなに。。。
2009年03月16日 21:08
Mの妻Mの夫さま
おおっとこんなところに同じ愛読家がいらっしゃったとは!!!
ジョーはですね、思い入れ強いのでちょっとうまく書けるかなあ。。。。
カルロスのその後編は結構印象的だからなあ・・・。百万の言葉で交わす友情よりも熱い何かを俺に刻み付けてくれた・・・。
う~ん、男だ!
2009年03月20日 21:52
えー!アニメでない番場蛮は死んで
しまうんですかあ!?
兄の影響で再放送何度も見ました。
ズンタッタターは心のテーマソングです。
ところでWBCのTBSのテーマ曲、Separate
waysですね!曲調は闘志的だけど内容が…。
2009年03月21日 18:10
えびさん
そうなんです!衝撃的な事実なんです。
アニメはその辺、ハッピーエンドにいているんですね。TBSは選曲がいいのやら、悪いのやら・・・と思いますね。
2009年03月27日 18:04
久々に遊びにきてしまいました。
すごい良く書けてますね~(^▽^)
参加できるほど野球の知識は
全くないのですが(^。^;)。。
WBCは釘付けでした。

2009年03月29日 06:56
デナーダさん
ご無沙汰しております。
WBCは面白かったですよね。久しぶりに興奮しましたし、つまらない朝のニュースが楽しかったですよ。

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