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ビートルズ解散後のジョンとポールの最後の2ショット 私の音楽の師匠のひとりであり、同じ甲虫収集仲間であるGottosonさんのログに先日「起こり得たかもしれないBEATLES再結成の話」というものがあり、関心を持って読ませていただきましたした。 師匠より紹介されたサイト →http://abbeyrd.best.vwh.net/news/503lennonreunion.html まあ、この元となった記事、のっけから一言で片付けてしまえば メイ・パンの宣伝材料 つまり、ジョンの愛人であったメイ・パン(May Pang)の写真集の宣伝で、その格好のネタとして「解散後にジョンとポールが実際に会っていた証拠写真」が前面に押し出されたのでしょう。またその際に「ジョンがビートルズ再結成を考えていた」というゴシップ的ニュースを流したというのが実際のところだと感じています。 しかもあとがきがジョンの前妻であるシンシアとその息子ジュリアンというのですから「なんだかなあ・・・」 とおもってしまうのです。(もっとも、ジョンと疎遠になっていたジュリアンをメイはジョンと何回も会わせていたというので彼らはメイに恩義を感じているのかもしれません) ちなみにこのメイ・パンの写真集は、その他にもジョンが先妻シンシアとの間の子供ジュリアンと戯れている写真や悪友ハリー・ニルソン、リンゴなどとの写真も掲載されています。The Mail on Sundayというタブロイド紙サイトでもこの写真を見ることができます。 実際ジョンとポールが解散後にも何度か会っていたという話はジョン自身、1981年のプレイボーイインタビュー(現在は絶版)でも語っておりジョンが住んでいたNYのダコタ・ハウスに遊びに行っていたことも語っています。 Gottosonさんより紹介していただいたブート盤「A Toot and a Snore in '74」はジョンが言うところの「失われた週末」(まあ、要するにヨーコに追いだされ自暴自棄だったと自身が語っている時代」において行われたセッションの様子。 ジョンがダラダラとVoをとり、ポールはドラム。スティービー・ワンダーも加わっていたようですが、内容は正直ガッカリ・・・。 ![]() ただLennon-McCartneyがビートルズ解散後にやはり集っていて音楽を多少なりとも形に残しているということは正直私のようなビートルズファンにはうれしいことではあります。 ですが、やはり正規盤としてついに日の目を見ることもなかったことからセッションも単なるお遊び的なもので終わったのでしょうね。ジョン自身もこの時期に制作した「心の壁,愛の橋」 (Walls And Bridges)にて、エルトン・ジョンと共作し「真夜中を突っ走れ」(*試聴できます)という名作を発表していることからもポールとのビートルズ再結成はうまくいかなかったのでしょう。 「もし真夜中を突っ走れが全米1位になったら俺のコンサートに出演してくれ」というエルトンとの約束を当時FAB4で唯一全米1位を獲っていなかったジョンは自信喪失のあまりなのか「ああ、いいよ」と軽く返事をしてしまったそうです。 そしたら結果、見事1位!(ジョンの生前でこの曲が唯一の全米1位です) そして約束を果たしにNYのコンサートにゲスト出演をした、ジョンはこの「真夜中を突っ走れ」、そしてエルトンがカバーしたあの名曲「Lucy In The Sky With Diamonds」と共になんと、ポールの曲である「I Saw Her Standing There」(*試聴できます)をエルトンと共に歌っています。 その際にジョンはオーディエンスに向かって 「かつての婚約者で今は疎遠になってしまったポールという名の人の曲を贈りたいと思います」と言って演奏を始めています。 もしかしたら、本当にジョンはポールと又一緒にやりたかったのかもしれませんね。 今となっては知る由もありませんし、望むべくもありませんけどね・・・。 参考URL Instamatic Karma:http://www.instamatickarma.com/ カフェ・喫茶店人気ブログランキングへ Instamatic Karma: Photographs of John Lennon
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ビートルズ解散以降のことは僕には少し難解でしたが・・。 |
kaki 2008/05/15 18:58 |
Gottosson氏に代わってGoteauxがコメントしゃす。日記を楽しんでくれてセンキュ!あれから僕の超友人でジョン・レノン・フリークのT氏と話をしてたら、「そのころジョンは行き場が無かったんだろうな」と言ってました。失われた週末ゆえの心境だったのでしょうか。ところで、このころ、ジョンはミック・ジャガーの"TOO MANY COOKS"をプロデュースしており、この曲は長いこと海賊盤オンリーだったのですが、この前出たミックのBESTに収録されましたね。ドラムはリンゴともジム・ケルトナーとも言われています。研究家の僕としてはこのセッションでこれ1曲だけ、というのはどうも腑に落ちないのですが、情報があまりなく、事情がよくわかりません。たしかサーカスを見に行って、ミックに会ったのもこの頃でしたっけ? |
Goteaux 2008/05/17 00:27 |
kakiさん |
ウッドエイトのマスター 2008/05/17 01:00 |
Goteauxさま |
ウッドエイトのマスター 2008/05/17 01:20 |
トラックバックありがとうございました。 |
Takechan URL 2008/05/18 12:44 |
Takechanさま |
ウッドエイトのマスター 2008/05/18 21:20 |
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