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久しぶりに私記を記したく思います。 表題の言葉・・・・この言葉は「遠くの親戚より近くの他人」を略した言葉で、遠くに住んでいる親戚よりも近所に住んでいる他人の方が、いざというときには頼りになるという意味で、隣人を大切にしなければいけないという教訓が基となってます。 私はすでに両親を亡くして8年近く経っています。もう一昔前のような出来事になってきました。でも当時の辛さは今でも覚えています。私は親族関係は悪くはありませんが、一部合わない人がいるのも事実です。 両親を相次いで失ったとき、とても良くしてくれた方がいらっしゃいました。私の実家の隣に住まわれているご家族です。このご家族には私が小学生のときから、妹に至っては生まれたときからの付き合いのある方で、本当にヘタな親戚よりも懇意にしていただいているご家族です。 家には勝手に上がれるくらい親しくさせていただき、おばさんには母の亡き後、食事に何度招かれたことか・・・・。おじさんには父亡き後、何度一緒にタバコを吸いながら私の愚痴や人生の先輩としての助言をいただいたことか・・・・。 そのお隣のおじさんが先週、逝去されました。 3年近い闘病生活の果ての永眠でした。 一報を聞いて久しぶりにお隣の家まで駆けつけました。すでにおじさんは帰宅されて穏やかな表情で眠られていました。 人がいなくなるということの喪失感や悲しみはよくわかっているつもりですが、やはりこういうことは当事者でないと本当の意味での悲しみの共有はしてあげることはできません。 あれだけ父母の葬儀の際、またその後お世話になったのに、自分の無力さを痛感しました。 生前の父母をよく知り、私たちの幼少期をよく知る人の死・・・・、それは故郷をまた失うことと感覚が似ている気がします。 近所付き合いの欠如・・、とりわけ都心部では隣近所が誰かわからないということがよくあります。近所付き合いがわずらわしいのは事実ですが、故郷や自分の居場所というのは物理的な家や土地だけでは成り立たないと思います。近所のみなさんや、買い物にでて気さくに声をかけてくれる商店街の方々・・・、いろいろな人間関係も多分に関係すると思います。 住んでいるだけではその土地は故郷にはならないのではないでしょうか・・・。それともそういう感情は奇麗事なのでしょうか・・・。 折りしも先週、おじさんの逝去を聞いた日東京は初雪が降りました。春の訪れを前にしてまるで涙雨のように雪が舞っていました。 告別式の日曜日、おじさんの人柄を表すかのような晴天・・・、でも寒い風が吹いていました。 ご冥福をお祈りし、残されたご家族を少しでも慰められればと思います。 |
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| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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生あるもの全てに別れの時が必ず来ると、わかっていても割り切れない感情があります。 |
ショウ 2007/03/20 07:37 |
ショウさん |
ウッドエイトのマスター 2007/03/20 09:45 |
心中お察しいたします。 |
masabi 2007/03/24 12:12 |
masabiさん |
ウッドエイトのマスター 2007/03/24 23:07 |
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